丸山敏雄クロニクル
人と生涯
- 西暦
(年号)
- 年齢
- 丸山敏雄の生涯
- 社会情勢
- 1892
(明治25)
- 0歳
- 5月5日、父・半三郎、母・ぎんの四男として、福岡県上毛郡合河村天和(現・豊前市)に生まれる。
- ◎日清戦争
(1894~95)
◎日露戦争
(1904~05)
- 1908
(明治41)
- 16歳
- 4月、尋常小学校准訓導の免許を取得。岩屋尋常小学校代用教員となる。
-
- 1909
(明治42)
- 17歳
- 福岡県立小倉師範学校入学。
- ◎伊藤博文ハルビン駅で暗殺
- 1910
(明治43)
- 18歳
- この頃、西川萱南氏について書道に精進する。
- ◎日韓条約調印
(韓国併合)
- 1913
(大正2)
- 21歳
- 小倉師範学校を主席で卒業。築上郡八屋尋常小学校に赴任。
- ◎第1次世界大戦
(1914~18)
- 1916
(大正5)
- 24歳
- 広島高等師範学校に入学。西晋一郎博士に倫理学を学ぶ。
-
- 1920
(大正9)
- 28歳
- 広島高等師範学校卒業。福岡県立築上中学校に赴任。神崎キクと結婚。
- ◎日本、大恐慌に突入
- 1921
(大正10)
- 29歳
- 長男・竹秋誕生。
- ◎連合国のロンドン賠償会議
- 1923
(大正12)
- 31歳
- 福岡県立中学明善校に転任。
- ◎関東大震災
- 1925
(大正14)
- 33歳
- 長崎女子師範学校教諭として転任。翌年主席教頭。
- ◎治安維持法
- 1928
(昭和3)
- 36歳
- 次男豊樹誕生。
- ◎昭和天皇の即位礼
- 1929
(昭和4)
- 37歳
- 広島文理科大学に入学、国史学専攻。西晋一郎博士と再会し、再び倫理・哲学を学ぶ。
- ◎世界大恐慌始まる
- 1931
(昭和6)
- 39歳
- 「ひとのみち教団」に入教。
- ◎満州事変勃発
- 1932
(昭和7)
- 40歳
- 広島文理科大学を卒業。
- ◎日本が満州国を承認
- 1933
(昭和8)
- 41歳
- 上杉一甫氏に短歌を師事。
- ◎国際連盟脱退
- 1935
(昭和10)
- 43歳
- 財団法人中野中学校校長となる。
-
- 1937
(昭和12)
- 45歳
- 中野中学校校長を退職。「ひとのみち教団」の幹部と共に不敬罪で検挙。教団解散。
- ◎日中戦争
- 1938
(昭和13)
- 46歳
- 仮出所後、「秋津書道院」創設。機関誌『秋津書道』を発刊。
- ◎第二次世界大戦
(1939~45)
- 1941
(昭和16)
- 49歳
- 「教団」に対する反省を記し「上申書」を提出。
- ◎日米開戦(ハワイ真珠湾攻撃)
- 1942
(昭和17)
- 50歳
- 東京中野区に転居。研究に没頭。
-
- 1945
(昭和20)
- 53歳
- 「夫婦道」の稿を起こし、倫理運動を創始。
- ◎日本、ポツダム宣言を受諾
- 1947
(昭和22)
- 55歳
- 武蔵野市境に転居。「新世会」を結成し、本格的な生活改善運動を開始。
『文化と家庭』創刊。上野駅ほかで街頭頒布を行なう。
- ◎労働基準法施行
◎教育基本法制定
- 1948
(昭和23)
- 56歳
- 「新世会」が社団法人の認可を受ける。
- ◎極東軍事裁判判決
- 1949
(昭和24)
- 57歳
- 『文化と家庭』を『新世』と改題。武蔵境の自宅において所内早朝講座(朝の集い)が始まる。
第1回倫理講演会開催。『万人幸福の栞』発刊。
- ◎下山事件
- 1950
(昭和25)
- 58歳
- 各地での講座や講演会、書道・短歌の指導に邁進。純粋倫理に関する論文も多数発表。
- ◎朝鮮戦争勃発
(1950~53)
- 1951
(昭和26)
- 59歳
- 『育児の書』『学童愛育の書』『作歌の書』『人類の朝光』を発行。神田・一ツ橋に本部を移転。
「新世会」を「社団法人倫理研究所」と改称。
武蔵境の自宅にて永眠(12月14日)。
- ◎対日講和・安保両条約発効
◎破壊活動防止法公布施行
◎血のメーデー事件